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建築つづり

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2019年 06月 13日

ル・コルビュジェ

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ル・コルビュジェのことを前回の記事で少し書いたので、この本も紹介したいと思います。

Casa BRUTUS 2019 3 MARCH

ル・コルビュジェのファンの方なら、もうお持ちでしょうか?

今回のこの本は、コルビュジェの基礎知識を細かく書かれていて大変興味深い内容でした。

建築の内容はもちろんですが、コルビュジェの人となりもたくさん書かれていました。

私が、この本の内容を19歳の時に専門学校の授業で聞いてたら、建築の道に進んでいただろうか?と考えてしまいます。

建築家とは、ストイックであり、広い視野をもち、何事にも探求し、最先端を目指なければいけない。

このような気構えを学校で教えてくれませんでした。もちろん、私、個人でもそこまで調べていなかった自己責任でもあります。

もし、建築が大好きで巨匠といわれる人の建築にあこがれ、目指すならこの本をまず読んでいただきたいです。

コルビュジェの書籍はたくさん出ていますが、とっつきやすいこの本から読んでみてください。

建築と一概に行っても色んなレベルがあります。どこを目指すかで本当に道が分かれます。

建築の仕事をしていても、巨匠と言われる コルビュジェ、ミース、ライトを知らない人が建築業界にはたくさんいることも先にお伝えしておきます。

知らなくても、建築士、設計士、建築をしている人 になります。

でも、建築をするなら、巨匠といわれる人について勉強し、作品を見て、トレースし、図面を描き、模型を作ったことのある人 

と一緒に仕事をするほうが、すごくラッキーです。建築の道に光がさしますし、人生が豊かになると思います。私がそうでしたので。

大学のことはよくわかりませんが、ゼミや教授とのつながりで、そのような方と出会える確率は高いのかもしれません。

しかし、私の場合、専門学校を出て、工務店に就職し、建築の道に入りました。夢と希望にあふれ、入社し、早速3大巨匠の話をしました。

返ってきた言葉は「誰、それ?」という悲しい現実。落胆の色を隠せなかったのを今でも覚えています。ル、コルビュジェの建築をフランス

まで見に行ってすぐの出来事だったので、ショックはかなり多きかったです。



その後、私は運よく、素晴らしい建築家であり、設計士に出会うことができ、建築のいろはを教えてもらうことができました。

もちろん、巨匠といわれる人について勉強し、作品を見て、トレースし、図面を描き、模型を作ったことのある人 です。

その人との出会いも、Casaの ルコルビュジェ、ミースファンデルローエ、フランクロイドライト とカタカナで特大に印字された

表紙の本でした。あの時、あの本を持っていなかったら、おもむろに広げて読んでいなかったら、人生が大きく変わっていたと思います。

まず、憧れから落胆し、早々に建築をやめていたかもしれません。

「ル・コルビュジェ」は私にとって人生を変えた存在と言っても過言ではありません。

自分の好きなものは、近くにおいておくこと、もしくは持ち歩いておくこと

をお勧めします。共感してくれる人がいつ現れるかわかりません。





この本にあった、トーネット社 NO.209 がコルビュジェの一番好きな椅子をどこかに見に行こうと思います。





# by pinkyarc | 2019-06-13 20:58 | 建築 | Comments(0)
2019年 06月 10日

奈義町現代美術館/奈義町立図書館 (通称 NagiMOCA/ナギ・モカ)

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 数か月前に、岡山県を訪れた際に立ち寄った、 奈義町現代美術館/奈義町立図書館 について書かせていただきます。
建築つづりの題名にもかかわらず、建物に関する記事をなかなか書くことができませんでした。
建築を初めて、色んな建物を見て回り、ワクワクしていた時からいつの間にか10年以上経ってしまいました。
何もわからない時の方が、純粋に建築を見ることができていたように思います。

少し物思いにふけってしまいましたが久しぶりに建物をみて、あ~いいな!好きだな!この建物!
と思ったのがこの美術館/図書館です。

 概要 

建築地 : 岡山県勝田郡奈義町豊沢441
設計者 : 磯崎 新 (磯崎新アトリエ)
建築名称: 奈義町現代美術館/奈義町立図書館 (通称NagiMOCA/ナギ・モカ)
用  途: 美術館/図書館/レストラン
(奈義町現代美術館、奈義町立図書館、レストラン棟の建築群に分かれていますが、共通のエントランスとなっています。)


建築家とアーティストが共同製作した3つの展示室からなっており、空間的作品を常設展示されています。
◆ 荒川 修作+マドリン・ゲンズ 「太陽」(遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体)
◆ 岡崎 和郎 「月」(HISASHIー補遺するもの)
◆ 宮脇 愛子 「大地」(うつろひ)



【 訪れて 】

展示作品と建築家の共同製作ということもあり、コンセプト、配置計画がしっかり詰められている印象を持ちました。
特に建物の配置計画に関しては色んな角度からが引かれています。

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 もともと建築をはじめた時から好きな建築家  ル・コルビュジェの建物は、周りの風景と建築
が一体化していて、感動を覚えました。実際訪れたフランスでもそれは間違いのないものでした。空の色、大地の色、
湖の色、緑の色、そこに溶け込む建築がすごく好きでした。 しかし、最近では、雑誌から見てみたいと思った建物を
実際に訪れると、違う建物に見えてしまうものが多々あります。

・写真の撮り方によるものなのかわかりませんが、周りの風景との相違
・メンテナンスがされていない
・壁が違う色に塗られている
・水浸しであるけない外構計画

 この建築は、そういった違和感のない、期待を裏切らない建築だと思います。町で大切にされている建築だということも感じました。
私が訪れた際は、外壁の改修工事が行われていたため、写真は納めなかったのですが、特に建物と周辺の風景を一体化させた素晴らしいものでした。
図書館と併設された美術館ですので、子供もまわりで遊んでいましたが、その風景がよりこの建物の良さを表しているように感じました。

 岡山で建物探訪をしようと思案されてる方、是非お立ち寄りください。岡山駅からは少し離れていますが、自然に囲まれ、静かな場所ですので、
ゆっくり過ごせる場所だと思います。近くに湯郷温泉もありますよ。








# by pinkyarc | 2019-06-10 20:54 | 建築探訪 | Comments(0)
2019年 05月 04日

生体肝移植 ー肝臓移植のドナー体験談ー (手術後)

【手術後~次の日の朝まで】

目が覚めたのは、手術台の上でした。うっすら照明の光さしこみ、見覚えのある緑の天井見えました。ーあれっ?これ起きていいの?早かった?まだ終わってない?-
っと一瞬焦りを感じ、手術服を着た看護師さんに

「もう起きていいですか?」

と尋ねると

「はい。おわりましたよ。」

と優しい声で返答がありました。その声に安心したのか、また目をつむってしまいました。二回目に目があいたのは、エレベーターの中です。ボーっとしていましたが、
数人の顔らしきものがちらほら。誰かに

「顔が真っ青や」

と言われたことだけ覚えています。また、目をつむり、完全に目が覚めたのは、自分の部屋に帰った時でした。ベッドの左側に主人がいて、その後ろに兄がいました。
主人はなぜか泣いていました。右側には叔父と叔母がいて、叔父から

「ありがとう、よく頑張ってくれた」

と言ってくれました。その後、看護師さんが血圧をこまめに何回もはかりに来たりしていました。どんどん意識が戻ってきて、正気になっていくと、
酸素マスクが非常にうっとうしくなり外そうとすると、看護師さんにまだ駄目ですと装着されました。
次に左肩が痛くてどうにかしてほしいと看護師さんにお願いしました。寝ている間に手術は終わっていましたが、約7時間の手術だったそうで、おそらく、
その間同じ姿勢で寝ていたから肩が凝ったのだろうという説明をしていました。その次に今まで感じたことのない寒気がやってきて、また看護さんに訴え、
電気毛布を入れてもらいました。それから落ち着いたのか目をつむり・・・・夜中に看護師さんが私の手を軽く叩いて、

「無事お母さんの手術おわりましたよ。」

と伝えにきてくれました。これが手術後1日目の記憶です。無事終わったことだけ聞いて、そのまま朝まで眠りました。―生まれて初めての手術でしたので、
終わった時もっと意識が朦朧としていると思っていましたし、記憶が飛ぶのかと思っていまいたが、私の場合は、かなり鮮明に記憶が残っています。
今、思いかえしても、看護師さんに次から次へ色んなお願いをしてしまい、申し訳なかった思います。
肩が痛みや寒さを訴えていましたが、肝心の手術した腹部の痛みはどうかということを書いていなかったですね。私は、全く痛くありませんでした。

【2日目】

母は手術後そのままICUに入ることを聞いていましたので、私はどうすることもできません。行けるわけでもないですし、手伝うこともできません。
先生と看護師さんにお任せし、ただ祈るのみです。母が元気に戻ってきた時に動けるようになっておくことが私の役目でしたので、この日からリハビリに励みました。
手術前に先生に言われていたことがあります。

「なるべく、一日でも早く歩いてください。」

えっ?って普通思いますよね。昨日手術が終わったばかりですが、ドナーはなるべく次の日から歩く方がいいらしいです。しんどくてもゆっくりでもいいから歩くこと。
理由は、癒着を防ぐことができるからです。午後からだったと思いますが、看護師さんに支えてもらいながら、起き上がり、血圧を測ってもらい、歩行器につかまり
ナースステーション前まで歩きました。
傷口の痛みどうだったかというと、ほとんど痛みはなかったです。おそらく麻酔がまだ背中からついたままだったので感じなかったのだと思います。ピリッと時々するぐらいでした。
もっと痛いのかと思っていたのですが・・・歩いたあと、看護師さんから、

「今までで、手術後に過去最高の距離を歩いたと思うよ。痛みに昔から強いの?」

と言われました。痛みに強いのかどうか自分でわかりませんがそのような声掛けにも励まされました。

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【3日目か4日目】
(このあたりから、日にちの記憶があいまいです。すみません。)

まだ、歩くときは看護師さんがつきっきりで見てくれます。起き上がった時、少し貧血のような症状があり、はじめてふらっとしました。これが3日目だったか4日目だったかはっきり
覚えていませんが、夕食がすき焼き風煮の日でした。病院食にしては豪華なのに、全く食欲がわかなかった日が一日あって、その日が体調の悪い日と覚えています。食べられなかったのは
その日だけです。

その日の夜だったと思うのですが、母の主治医の先生がお忙しい中、わざわざ部屋まで来てくださり、母の状態とが頑張って戦っていることを伝えに来てくださいました。
過去にたくさんの医師と話してきましたが、この方は、技術はもちろんですが、患者の気持ちを大切にしてくださる本当に素晴らしい先生です。母は、担当してくださったチームの先生方
そして担当してくださった看護師さん達に出会えたことが本当に幸せだと今でも話していますし、感謝しています。(別の病院では、マイナスのことしか言わない先生もいました。
その先生の部屋からは泣いて出てくる患者さんもいましたー セカンドオピニオンは本当に重要だと思います。)

次の日ぐらいに、母に面会できるということで、看護師さんが車いすに乗せてICUまで連れて行ってくれました。母には、点滴が上から滝のように何本も繋がれていました。
顔もむくみ、しんどそうでしたが、声をかけるとうっすら目をあけていました。そんなに長い時間いることもできないので、すぐに病室にもどりましたが、生きている母にまた会えたこと
だけでうれしかったです。母は、子供からもらうなんてと手術前迷いがある時期がありましたが、私が説得し、生きてもらうお願いをして、移植することを了承しました。母を色んな意味で
苦しめたのではないかと思う時期もありましたが、今ではよかったと思っています。

【5日目以降】

傷口も手術数日後に見ましたが、思っていたよりきれいだと思いました。先生が手術前に説明してくださった図より若干短い縦線で、綺麗に溶ける糸できれいに縫ってくださっていました。
特に膿むこともなかったです。一人でトイレに行けるようになり、点滴もはずれ、シャワーにも行けるようになり、リハビリをしながら、あとは肝臓の数値が落ち着くのを待つのみという
感じでした。(母は小柄なので、私の肝臓は小さい方をあげれば充分ということでした。肝臓は不思議な臓器で、大きさが半分になっても、日が経つにつれて機能は同じまで回復します。)
本を読むぐらいしかすることがなくなったので、病院内をリハビリがてらに歩きまわっていました。(おかげさまで、癒着も全くなかったです。)

手術から1週間過ぎたぐらいに、母もICUから出られるようになり、個室に移ってきました。その頃には会話も少しできるようになっていました。肝臓とは関係ないのですが、私が、術後苦しんだもの
が一つあります。咳です。咳がまらず夜中寝れなかったのです。自分の担当の先生方に、咳止めを何回かお願いしたのですが、出してもらえず・・・手術の挿管の後だからということでした。一日中
でるのですが、特に夜中はひどく、横になると咳がとまらなくなるので、ベッドを起こして枕を抱えて寝ていました。それでも咳でまた目が覚めるんですけどね。

もともと喉が弱いんです。よく、気管に入ってむせるので、挿管の後だからと言われるとそうかもしれませんが、気休めでも薬だしてほしかったです。これが5日は続きました。咳すると腹筋使いますからね。
その時には傷口にひびくんですよ。これが苦しかったです。薬は結局出してもらえそうになたっかので、自分でコンビニに行って何か聞きそうなものがないか探し、

龍角散ののど飴

を買ってみました。その龍角散ののど飴がぴったり合ったのか、日にち薬だったのかわかりませんが、なめた次の日から止ったのです。あれは感激でした。それ以来、私は常に龍角散のど飴を
ストックしていますし、咳がでてつらそうな方には薦めています。

母の病室は一つ挟んで隣りでしたので、話をしたり、足をさすったりをしに時間があれば行っていました。母の病室に行くときに、廊下で腰を曲げてお腹を押さえている女性に何回も会うんです。
何回か会った時にどちらからともなく話するようになりました。その方もドナーの方でした。

「お腹痛いですか?」

と聞くと

「痛いのよ~。押えてないと落ち着かない」

と言っていました。やっぱり人それぞれなんだと思ったのはその時です。また、廊下で壁側を向いてすこし傷を見せ合ったのですが、縫い方や留め方も違ったのです。他の方の話してみない
とわからないものです。その方とは退院するまで、手術前~手術後までのお互いの話を会うたびに話ました。なかなか会うことのできない同じ手術体験をした人との時間はすごく貴重でした。

ですので、改めて書いておきたいのは、

この体験談は本当に一例でしかありません。術後の症状、傷口みんな一緒ということは絶対ありません。

とにもかくにも、私は大きな問題もなく、順調に肝臓の数値もさがり、咳には苦しめられましたが、傷の痛みもなく無事退院の日を迎えました。
主人の仕事の関係もあって、手術後12日目での退院です。その後、一か月半、母の付き添う為、京都へ1か月半住むことになります。

つたない文ですが、おつきあいいただきありがとうございました。少しでもどこかの誰かに役にたつ体験談であればいいのですが・・・
悩むことの多い手術だと思います。周りの人の本当の表情・感情・考えがわかります。私は、この手術をして一番そのことが印象的でした。本当に自分の事、家族のことを考えてくれる人が
誰かはっきりわかります。ある意味それが一番怖いことでした。一人で抱え込まず、家族が無理なら、先生やコーディネーターの方、本当に相談できる人に探して話してください。

最後に手術後5年たちましたが、傷の跡は見ればわかりますが、ただれたり、膿んだりも一度もしていません。母も体験談を書きたいと申しておりますが、パソコンは苦手なので、私が聞き取り、
また別の機会でお伝えできればと思います。(まだまだ先になりそうですが・・・)一か月半住んだ京都の情報もありますので、これもまた別の機会に書いていければと思います。





# by pinkyarc | 2019-05-04 06:46 | | Comments(0)
2019年 04月 27日

生体肝移植 ー肝臓移植のドナー体験談ー (手術前)

以前書いた、生体肝移植に関する記事を今も読んでくださっている方がいらっしゃるようなので、追記記事を書きたいと思います。

【はじめに】
5年前に行った、私から母への生体肝移植について書きたいと思います。
自分がドナーになることが決定した時から、体験された方のブログをいくつか拝見し、大変参考になりました。
私も実際に経験したことを一つの例として発信できればと考えました。

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▲手術前に主人にお見舞いでもらなったぬいぐるみです。

【概要として】

・母の病名は、原発性胆汁性肝硬変(PBC)です。自己免疫疾患の種類で、自分で自分の細胞を攻撃してしまうという未だにわからないことの多い病気だそうです。
(同じ病気でも症状は全く違う場合もありますので詳細は今回割愛させていただきます)詳しくはこちらもご参照ください。http://www.nanbyou.or.jp/entry/93

・母が手術を受けたのは「京都大学医学部付属病院」です。
・肝臓移植の場合は受容者を(レシピエント)肝臓の供与者を(ドナー)と呼びます。
・大前提として、移植の場合は、レシピエントよりもドナーの意志が一番に尊重されます。

【ドナーになるまでの流れ】

母の症状が悪化し、先生から肝臓移植をしないと余命は長くないとの説明がありました。2013年3月頃です。私たち家族は肝臓移植をする意向を伝えました。
その後すぐに母の主治医と移植コーディネータの方からこれからの流れと手術に関する説明がありました。移植をするときに、適合性の話が一番に出てくると思います。
私の家族の場合は、母=A型 父=B型 兄=O型 私=O型 でした。そうなんです。A型がいないのです。説明を受ける前にそのことは理解していたので、
その話をされることが一番怖かったのですが、ここで先生から予想外なお話がありました。

【適合性とは】(以下三行引用)

同一である場合、A→Aは「一致」いいます。
異なるが輸血できる場合O→Aは「適合」といいます。
輸血出来ない組み合わせである場合B→Aは「血液型不適合」といいます。

最近の医学の進歩から血液型不適合でも移植不可能ということはないそうですが、術後に強い拒絶反応がでるということでした。私たち家族の場合「一致」
はいませんが、「適合」が二人いたのです。父は血液型不適合の為、母の術後のことを考え一番に候補から外しました。とりあえず、兄がドナーの第一候補になり
検査をしていくことになったのですが・・・
(兄はたばこを吸っていたため、検査の段階から禁煙生活になりましたが、かなりこれは辛かったみたいです。お酒を飲む人は禁酒も必要となります。)

検査は一つというわけではなく、多種にわたっており一日で終わることはありません。一つがOKなら次に進むという段階を追っての検査になります。
特に問題なく進んでるかのように見えた検査だったのですが、ある日コーディネーターの方からある1本の電話がありました。

「お兄さんとお母さんの血液の相性が悪く、移植しても血液型不適合の拒絶反応がでる可能性が高いです」

隣りに母もいましたので、すぐに一度電話を切り、折り返しました。詳しく聞くとクロスマッチ(交差適合試験)という検査があり、ドナーとレシピエントの血液
を同日に採取し、掛け合わせ調べるらしいのですが、その検査結果が「陽性」とでたそうです。陽性の中でも超陽性で、血液の相性はかなり悪く、血液型不適合の
場合と同じ拒絶反応がでる可能性が高いとのことでした。

全く予想外のことが起こったので、一瞬頭が真っ白になったのですが、すぐに気持ちを切り替え、なるべく母の負担を減らしたいと考えた私は、自分がドナー候補
になれなかコーディネーターの方に確認しました。しかし、
「兄妹の場合、検査結果は同じとなる可能性が高いです」とのことでした。
それでも調べてみないとわからないので、わずかな望みをもち、検査を受けさせてほしいと申し出ました。早速、その日に検査の手配をしてくださり、次の日京都
へ検査を受けるため向かいました。

私と母のクロスマッチの検査の結果は・・・「陰性」

先生からその後お話しがあったのですが、この結果が出たことに驚いているということでした。(それぐらい陰性がでる確率は低かったのです。)
検査結果から私がドナーになることを家族に伝えました。(兄はドナー候補から外れましたが、この時の禁煙をきっかっけにたばこを吸わなくなったそうです。)
私は、お酒もたしなむ程度で、たばこももともと吸いません。ですので、兄の用な辛さは皆無でした。

その後は、親子なので、私が母と同じ病気の物質をもっていないかどうかの検査、(これは検査結果が出るまで結構怖かったです。ここで出たらまた私もドナーを外れなくてはならないからです。
PBC、遺伝性
 
のキーワードで何回もネット検索したのを覚えています。)
呼吸器量検査、心電図、レントゲン、はじめて受けるCT、MRI・・・etc をうけ、全ての検査が終わり、検査結果は全て問題ないことがわかりました。
あくまでも、移植はドナーが第一優先になるので、ドナーにリスクがある場合絶対に行えないのです。慎重に慎重をかさね徹底的な検査を行うそうです。

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▲ドナーになることが決まり夫婦で手術の内容、手術前後の内容に関する説明を受けた時にいただいた資料です。




母の主治医、コーディネーターの方から入院、手術、その後の内容まで詳しく説明がありました。先生・コーディーネーターの方とは、これまでお話してきて
信頼できる方ばかりでした。母が元気になる方法を模索してくださり、私に対しても色んな場面でサポートいただきました。私は、運がいいことに今まで大した
病気も怪我もなく過ごしてきましたので、初めての手術でしたが、手術を受けるにあたって不安・恐怖という感情は一切なかったです。

主人は医者ではありませんが、一緒に説明を聞いてくれて、(設計士なので)肝臓の絵を描きながら図解でも納得し、理解してくれました。全力でサポートする
と言ってくれたので心強かったです。

※おそらくこの時の感情は、非常に個人差あると思います。病院に設置されている過去に移植を受けた方のアンケート一覧やネットでの体験談をみるとたくさんの方
の感情を知ることができました。先生との合う合わないの問題で、説明から不安になったという方もネット記事でみました。
家族・親戚関係の問題もあるかと思います。お子さんがおられての手術になると、色んな不安があるかと思います。私のように不安や恐怖はなかったという人も
稀におられました。

【母の急変~手術日変更~手術】

母の手術は、9月末を予定していたので、まだ1か月あるという気持ち自宅で過ごしていました。私が病院で行うことはあと心療内科の受診と麻酔科の先生のお話のみ
だったと思います。しかし、8月中旬に母の様態が急変し・・・・

救急車で運ばれ、そのまま入院となりました。その後の検査で一刻の猶予もない状態の検査データーが出たとのことでした。緊急で先生たちが会議を開かれ、
手術を早めることが決まったそうです。すぐに、コーディネーターの方から
「手術が早まります。まだはっきり決まっていませんが、恐らく一週間以内になるかと。心療内科の先生と今から話できますか?」
と言われたので、すぐに受診しました。もう、迷いも不安も特になにもなかったのですぐに終わったと思います。

コーディネーターの方から終わったら声かけてと言われていたので、終わったことを伝えに行くと手術の日程が決まっていました。
「明後日を予定しています」とのこと。

入院から少し時間がかかった理由は、急変する前に母は40度ぐらいの熱をだしており、その熱の原因の検査をしているとのことでした。その検査で異常が出た場合は、
手術すると危険だということ。明後日までに熱がでたら手術は延期になるという説明もありました。
(特に検査も異常なく、熱もでず手術まで行けたのは奇跡だと思っています。母は大変強運の持ち主なので)

明後日と決まった瞬間(この時間はもうPM4:00頃だったと思います)に、することが山積みでした。。
(もし手術が近づいている場合は、家族の協力のもと役割分担を決めて動くことをおすすめします。)
私の場合は、自分の気持ちの整理どころか・・・

①とにかく京都から兵庫へ帰って荷物をまとめないといけません。
②手術のために必要なものを薬局で買いこみ
③主人に連絡をし、京都駅で待ち合わせ。
④手術が決まったこととこれまでの経緯を話しながら
⑤JRに乗り込み一度自宅へ。
⑥自宅で必要な着替え、下着、薬局で買ったもの、本をトランクへ詰め込み
⑦次の日、朝一で主人と京都へ。
⑧京都につく前に、叔父夫婦から京都に向かうと連絡があり、ホテルをとっていないとのことで叔父夫婦のホテルを携帯で予約。
⑨京都につくと、母の手術室、ICUへ持っていくものの準備と名前書き。
⑩自分の入院道具を自分の部屋で片づけ。
⑪叔父夫婦が到着して案内。ホテルまでの地図を書き説明。
⑫麻酔の先生から麻酔に関する注意点と危険な点の説明をうけます。
⑬手術前のお風呂に行き、看護師さんにおへその掃除をしてもらいました。
⑭母に明日一緒にがんばろうといい一日が終わりました。

前日は、見てのとおり恐怖や不安を感じる暇もなく寝る時間になっていました。そしてちゃんとその夜も寝ました。母が熱を出さないことだけを祈って・・・

主人が仕事を休んでずっといてくれたので、なんとかすべてをこなせましたが、一人ではたぶん力尽きていました。お気づきただと思いますが、登場人物が
減ってると思いませんか?緊急事態にこそ、誰が本当に信頼できるか、動けるかはっきりわかります。手術前にしっかり頼れる方をみきわめておくことをお勧めします。
(私が手術で動けない分、家族にはあらかじめ頼んでいましたが、最後まで動いてくれたのは主人だけでした)

ついに、手術当日です。私は、歩いて手術部の大きい扉の前までやってきました。
(ベッドに寝転んでいくと思ってました。これは予想外でした。病院によっても違うかもしれません。)

母は、車いすで意識が朦朧としている感じでやってきました。母と手をつないで頑張ろうといいながら扉の向こうに入っていき、手術部の中の分かれている手術室にそれぞれ入っていきました。


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▲麻酔の話を聞いた帰りに手術部の内部を確認するため、携帯で写真を撮りました。


それから手術室のベッドの上に寝転びました。手術室は本当に緑でうめつくされているのか~と思いながら、いろんな管をとりつけてもらい、
「今から注射うちます。ちょっと痛いと思いますけど、そのあと、ふーっと眠くなりますからね」と優しい声があり、眠りにつきました。

手術後編に続く



# by pinkyarc | 2019-04-27 06:47 | | Comments(0)
2019年 04月 18日

オフィスチェアがおすすめ ルーチェ【Luce】

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長時間机に向かう時どのような椅子を使っていますか?

お子様はもちろん、大人の方でも自宅で机に向かう時間が多いのではないでしょうか?

例えば、

・資格取得などのスキルUPのための勉強
・在宅ワークのためパソコンに向かう
・会社から持って帰ってきた仕事のまとめをする
・パソコンでテレビ・DVDなどの動画を見る

他にも色々あると思います。

私も、朝活の時間の大半を机に向かっています。資格取得の勉強をする、本を読む、パソコンを使って調べものをする・仕事のまとめものをする・・・etc。以前はデザイン椅子を使っていました。
普段使う分にはデザイン椅子でも申し分ないのですが、長時間机にむかって作業しているとだんだん肩が痛くなったり、腰が痛くなったり、座りごこちが気になって集中できなくなってきたのです。
(おそらく昇降式でないため座面と机の間隔があっていなかったように思います。)

その時は、資格取得のための勉強をしていたのですが、痛さばかりに気がいってどうしたものかと思い、色々場所をかえてみたのです。カフェに行く、図書館に行く、低い机で正座をする、
ダイニングセットでする。色々しましたが、どうにも集中できないので、困ったものだな~と思っているときに、“自宅に会社で使っているオフィスチェアと同じものを置いている”という記事に目が留まりました。

たしかに、会社などで使っている椅子は長時間のデスクワークのために開発されているものがほとんどなので理にかなっています。
しかし、自宅に置くのにオフィスチェアはいかがなものか?見た目固くないか?部屋にあうのか?個人で買えるのか?
疑問をもちながらも、作業環境に適したオフィスチェアを探し始めました。
オフィスチェアはピンキリで安いものではホームセンターでも買える3000円ぐらいのもの~本格的なものは10万円ぐらいするものまであります。

これから長い時間共にするという思いがあったので、メーカーは、実績のあるオフィスチェアの有名どころ3社
ITOKI・KOKUYO・OKAMURAに絞り、価格は、多少高くても機能性を重視しました。


【決めるうえで確認した内容】

・背もたれの角度
・座り心地
・耐久性
・デザイン性(カッコいいけど柔らかさもあり)
・価格(長期間使うことを理由に少し頑張りました。)
・アームの脱着
・自宅に置いても威圧感・圧迫感がないか
・昇降式かどうか


大阪ショールームで実物を見学、試座させてもらいました。
(メーカーや店舗によってはできないところもあるかもしれません。)
下記の表を作成し4種類の椅子にしぼりました。メーカーはOKAMURAさんです。

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最終的に購入したのは、OKAMURA「Luce(ルーチェ)」いう商品に決めました。商品の内容は引用として下記に記します。
2014年に購入しましたが、今でも全く異常なく、座り心地もかわらず、体を包み込んでくれています。
一番気になっていた、部屋に置いても圧迫感はないかというところも全く問題ありません。オフィスチェアというと 
かたい、地味、厳つい、というイメージが私の中ではありましたが、そのイメージは払しょくされました。

お家を新しくしてそこには書斎を・・と検討中の方や、模様替えをして机と椅子を一新したいと思われている方、
私のように長時間机に向かいたいけどしっくりこないと悩んでおられる方、一度オフィスチェアを検討されてみてはいかがでしょうか?
快適なデスクワークの選択肢が広がればと思います。自宅にもオフィスチェアはおすすめです。


 “Luce(ルーチェ)の特長

■アクティブなワークシーンにも、安心感のある座り心地を
ルーチェは、レオパードで培われてきた、着座から起立まで一連の姿勢変化に座部と背部をフィットさせる技術を踏襲しており、座面を持ち上げたフォルムが特長です。
特に着座時に、身体への衝撃を最大限に緩和吸収する「スマートリラクゼーションシート構造」により、体格・体重差に関わらず、あらゆる人に快適でソフトな座り心地を体感していただけます。

■ジウジアーロ・デザインによる軽快なフォルム
ルーチェは、OKIのロボットテクノロジーから生まれ、座り心地にオカムラ独自の考え方を踏襲したシーティングです。
更に、インダストリアルデザインの名門ジウジアーロ・デザイン社のデザインを採用。シンプルでありながら軽快な機能美を兼ね備えたデザインに仕上がりました。
コンパクトで軽やかな雰囲気が、オフィスに風通しの良い印象を与えます ”

引用:株式会社オカムラ製作所



# by pinkyarc | 2019-04-18 05:55 | こだわり | Comments(0)