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建築つづり 建築についての情報や日常での発見をつづります。

生体肝移植 ー肝臓移植のドナー体験談ー (手術前)

以前書いた、生体肝移植に関する記事を今も読んでくださっている方がいらっしゃるようなので、追記記事を書きたいと思います。

【はじめに】
5年前に行った、私から母への生体肝移植について書きたいと思います。
自分がドナーになることが決定した時から、体験された方のブログをいくつか拝見し、大変参考になりました。
私も実際に経験したことを一つの例として発信できればと考えました。

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▲手術前に主人にお見舞いでもらなったぬいぐるみです。

【概要として】

・母の病名は、原発性胆汁性肝硬変(PBC)です。自己免疫疾患の種類で、自分で自分の細胞を攻撃してしまうという未だにわからないことの多い病気だそうです。
(同じ病気でも症状は全く違う場合もありますので詳細は今回割愛させていただきます)詳しくはこちらもご参照ください。http://www.nanbyou.or.jp/entry/93

・母が手術を受けたのは「京都大学医学部付属病院」です。
・肝臓移植の場合は受容者を(レシピエント)肝臓の供与者を(ドナー)と呼びます。
・大前提として、移植の場合は、レシピエントよりもドナーの意志が一番に尊重されます。

【ドナーになるまでの流れ】

母の症状が悪化し、先生から肝臓移植をしないと余命は長くないとの説明がありました。2013年3月頃です。私たち家族は肝臓移植をする意向を伝えました。
その後すぐに母の主治医と移植コーディネータの方からこれからの流れと手術に関する説明がありました。移植をするときに、適合性の話が一番に出てくると思います。
私の家族の場合は、母=A型 父=B型 兄=O型 私=O型 でした。そうなんです。A型がいないのです。説明を受ける前にそのことは理解していたので、
その話をされることが一番怖かったのですが、ここで先生から予想外なお話がありました。

【適合性とは】(以下三行引用)

同一である場合、A→Aは「一致」いいます。
異なるが輸血できる場合O→Aは「適合」といいます。
輸血出来ない組み合わせである場合B→Aは「血液型不適合」といいます。

最近の医学の進歩から血液型不適合でも移植不可能ということはないそうですが、術後に強い拒絶反応がでるということでした。私たち家族の場合「一致」
はいませんが、「適合」が二人いたのです。父は血液型不適合の為、母の術後のことを考え一番に候補から外しました。とりあえず、兄がドナーの第一候補になり
検査をしていくことになったのですが・・・
(兄はたばこを吸っていたため、検査の段階から禁煙生活になりましたが、かなりこれは辛かったみたいです。お酒を飲む人は禁酒も必要となります。)

検査は一つというわけではなく、多種にわたっており一日で終わることはありません。一つがOKなら次に進むという段階を追っての検査になります。
特に問題なく進んでるかのように見えた検査だったのですが、ある日コーディネーターの方からある1本の電話がありました。

「お兄さんとお母さんの血液の相性が悪く、移植しても血液型不適合の拒絶反応がでる可能性が高いです」

隣りに母もいましたので、すぐに一度電話を切り、折り返しました。詳しく聞くとクロスマッチ(交差適合試験)という検査があり、ドナーとレシピエントの血液
を同日に採取し、掛け合わせ調べるらしいのですが、その検査結果が「陽性」とでたそうです。陽性の中でも超陽性で、血液の相性はかなり悪く、血液型不適合の
場合と同じ拒絶反応がでる可能性が高いとのことでした。

全く予想外のことが起こったので、一瞬頭が真っ白になったのですが、すぐに気持ちを切り替え、なるべく母の負担を減らしたいと考えた私は、自分がドナー候補
になれなかコーディネーターの方に確認しました。しかし、
「兄妹の場合、検査結果は同じとなる可能性が高いです」とのことでした。
それでも調べてみないとわからないので、わずかな望みをもち、検査を受けさせてほしいと申し出ました。早速、その日に検査の手配をしてくださり、次の日京都
へ検査を受けるため向かいました。

私と母のクロスマッチの検査の結果は・・・「陰性」

先生からその後お話しがあったのですが、この結果が出たことに驚いているということでした。(それぐらい陰性がでる確率は低かったのです。)
検査結果から私がドナーになることを家族に伝えました。(兄はドナー候補から外れましたが、この時の禁煙をきっかっけにたばこを吸わなくなったそうです。)
私は、お酒もたしなむ程度で、たばこももともと吸いません。ですので、兄の用な辛さは皆無でした。

その後は、親子なので、私が母と同じ病気の物質をもっていないかどうかの検査、(これは検査結果が出るまで結構怖かったです。ここで出たらまた私もドナーを外れなくてはならないからです。
PBC、遺伝性
 
のキーワードで何回もネット検索したのを覚えています。)
呼吸器量検査、心電図、レントゲン、はじめて受けるCT、MRI・・・etc をうけ、全ての検査が終わり、検査結果は全て問題ないことがわかりました。
あくまでも、移植はドナーが第一優先になるので、ドナーにリスクがある場合絶対に行えないのです。慎重に慎重をかさね徹底的な検査を行うそうです。

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▲ドナーになることが決まり夫婦で手術の内容、手術前後の内容に関する説明を受けた時にいただいた資料です。




母の主治医、コーディネーターの方から入院、手術、その後の内容まで詳しく説明がありました。先生・コーディーネーターの方とは、これまでお話してきて
信頼できる方ばかりでした。母が元気になる方法を模索してくださり、私に対しても色んな場面でサポートいただきました。私は、運がいいことに今まで大した
病気も怪我もなく過ごしてきましたので、初めての手術でしたが、手術を受けるにあたって不安・恐怖という感情は一切なかったです。

主人は医者ではありませんが、一緒に説明を聞いてくれて、(設計士なので)肝臓の絵を描きながら図解でも納得し、理解してくれました。全力でサポートする
と言ってくれたので心強かったです。

※おそらくこの時の感情は、非常に個人差あると思います。病院に設置されている過去に移植を受けた方のアンケート一覧やネットでの体験談をみるとたくさんの方
の感情を知ることができました。先生との合う合わないの問題で、説明から不安になったという方もネット記事でみました。
家族・親戚関係の問題もあるかと思います。お子さんがおられての手術になると、色んな不安があるかと思います。私のように不安や恐怖はなかったという人も
稀におられました。

【母の急変~手術日変更~手術】

母の手術は、9月末を予定していたので、まだ1か月あるという気持ち自宅で過ごしていました。私が病院で行うことはあと心療内科の受診と麻酔科の先生のお話のみ
だったと思います。しかし、8月中旬に母の様態が急変し・・・・

救急車で運ばれ、そのまま入院となりました。その後の検査で一刻の猶予もない状態の検査データーが出たとのことでした。緊急で先生たちが会議を開かれ、
手術を早めることが決まったそうです。すぐに、コーディネーターの方から
「手術が早まります。まだはっきり決まっていませんが、恐らく一週間以内になるかと。心療内科の先生と今から話できますか?」
と言われたので、すぐに受診しました。もう、迷いも不安も特になにもなかったのですぐに終わったと思います。

コーディネーターの方から終わったら声かけてと言われていたので、終わったことを伝えに行くと手術の日程が決まっていました。
「明後日を予定しています」とのこと。

入院から少し時間がかかった理由は、急変する前に母は40度ぐらいの熱をだしており、その熱の原因の検査をしているとのことでした。その検査で異常が出た場合は、
手術すると危険だということ。明後日までに熱がでたら手術は延期になるという説明もありました。
(特に検査も異常なく、熱もでず手術まで行けたのは奇跡だと思っています。母は大変強運の持ち主なので)

明後日と決まった瞬間(この時間はもうPM4:00頃だったと思います)に、することが山積みでした。。
(もし手術が近づいている場合は、家族の協力のもと役割分担を決めて動くことをおすすめします。)
私の場合は、自分の気持ちの整理どころか・・・

①とにかく京都から兵庫へ帰って荷物をまとめないといけません。
②手術のために必要なものを薬局で買いこみ
③主人に連絡をし、京都駅で待ち合わせ。
④手術が決まったこととこれまでの経緯を話しながら
⑤JRに乗り込み一度自宅へ。
⑥自宅で必要な着替え、下着、薬局で買ったもの、本をトランクへ詰め込み
⑦次の日、朝一で主人と京都へ。
⑧京都につく前に、叔父夫婦から京都に向かうと連絡があり、ホテルをとっていないとのことで叔父夫婦のホテルを携帯で予約。
⑨京都につくと、母の手術室、ICUへ持っていくものの準備と名前書き。
⑩自分の入院道具を自分の部屋で片づけ。
⑪叔父夫婦が到着して案内。ホテルまでの地図を書き説明。
⑫麻酔の先生から麻酔に関する注意点と危険な点の説明をうけます。
⑬手術前のお風呂に行き、看護師さんにおへその掃除をしてもらいました。
⑭母に明日一緒にがんばろうといい一日が終わりました。

前日は、見てのとおり恐怖や不安を感じる暇もなく寝る時間になっていました。そしてちゃんとその夜も寝ました。母が熱を出さないことだけを祈って・・・

主人が仕事を休んでずっといてくれたので、なんとかすべてをこなせましたが、一人ではたぶん力尽きていました。お気づきただと思いますが、登場人物が
減ってると思いませんか?緊急事態にこそ、誰が本当に信頼できるか、動けるかはっきりわかります。手術前にしっかり頼れる方をみきわめておくことをお勧めします。
(私が手術で動けない分、家族にはあらかじめ頼んでいましたが、最後まで動いてくれたのは主人だけでした)

ついに、手術当日です。私は、歩いて手術部の大きい扉の前までやってきました。
(ベッドに寝転んでいくと思ってました。これは予想外でした。病院によっても違うかもしれません。)

母は、車いすで意識が朦朧としている感じでやってきました。母と手をつないで頑張ろうといいながら扉の向こうに入っていき、手術部の中の分かれている手術室にそれぞれ入っていきました。


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▲麻酔の話を聞いた帰りに手術部の内部を確認するため、携帯で写真を撮りました。


それから手術室のベッドの上に寝転びました。手術室は本当に緑でうめつくされているのか~と思いながら、いろんな管をとりつけてもらい、
「今から注射うちます。ちょっと痛いと思いますけど、そのあと、ふーっと眠くなりますからね」と優しい声があり、眠りにつきました。

手術後編に続く


by pinkyarc | 2019-04-27 06:47 | | Comments(0)