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建築つづり 建築についての情報や日常での発見をつづります。

生体肝移植 ー肝臓移植のドナー体験談ー (手術後)

【手術後~次の日の朝まで】

目が覚めたのは、手術台の上でした。うっすら照明の光さしこみ、見覚えのある緑の天井見えました。ーあれっ?これ起きていいの?早かった?まだ終わってない?-
っと一瞬焦りを感じ、手術服を着た看護師さんに

「もう起きていいですか?」

と尋ねると

「はい。おわりましたよ。」

と優しい声で返答がありました。その声に安心したのか、また目をつむってしまいました。二回目に目があいたのは、エレベーターの中です。ボーっとしていましたが、
数人の顔らしきものがちらほら。誰かに

「顔が真っ青や」

と言われたことだけ覚えています。また、目をつむり、完全に目が覚めたのは、自分の部屋に帰った時でした。ベッドの左側に主人がいて、その後ろに兄がいました。
主人はなぜか泣いていました。右側には叔父と叔母がいて、叔父から

「ありがとう、よく頑張ってくれた」

と言ってくれました。その後、看護師さんが血圧をこまめに何回もはかりに来たりしていました。どんどん意識が戻ってきて、正気になっていくと、
酸素マスクが非常にうっとうしくなり外そうとすると、看護師さんにまだ駄目ですと装着されました。
次に左肩が痛くてどうにかしてほしいと看護師さんにお願いしました。寝ている間に手術は終わっていましたが、約7時間の手術だったそうで、おそらく、
その間同じ姿勢で寝ていたから肩が凝ったのだろうという説明をしていました。その次に今まで感じたことのない寒気がやってきて、また看護さんに訴え、
電気毛布を入れてもらいました。それから落ち着いたのか目をつむり・・・・夜中に看護師さんが私の手を軽く叩いて、

「無事お母さんの手術おわりましたよ。」

と伝えにきてくれました。これが手術後1日目の記憶です。無事終わったことだけ聞いて、そのまま朝まで眠りました。―生まれて初めての手術でしたので、
終わった時もっと意識が朦朧としていると思っていましたし、記憶が飛ぶのかと思っていまいたが、私の場合は、かなり鮮明に記憶が残っています。
今、思いかえしても、看護師さんに次から次へ色んなお願いをしてしまい、申し訳なかった思います。
肩が痛みや寒さを訴えていましたが、肝心の手術した腹部の痛みはどうかということを書いていなかったですね。私は、全く痛くありませんでした。

【2日目】

母は手術後そのままICUに入ることを聞いていましたので、私はどうすることもできません。行けるわけでもないですし、手伝うこともできません。
先生と看護師さんにお任せし、ただ祈るのみです。母が元気に戻ってきた時に動けるようになっておくことが私の役目でしたので、この日からリハビリに励みました。
手術前に先生に言われていたことがあります。

「なるべく、一日でも早く歩いてください。」

えっ?って普通思いますよね。昨日手術が終わったばかりですが、ドナーはなるべく次の日から歩く方がいいらしいです。しんどくてもゆっくりでもいいから歩くこと。
理由は、癒着を防ぐことができるからです。午後からだったと思いますが、看護師さんに支えてもらいながら、起き上がり、血圧を測ってもらい、歩行器につかまり
ナースステーション前まで歩きました。
傷口の痛みどうだったかというと、ほとんど痛みはなかったです。おそらく麻酔がまだ背中からついたままだったので感じなかったのだと思います。ピリッと時々するぐらいでした。
もっと痛いのかと思っていたのですが・・・歩いたあと、看護師さんから、

「今までで、手術後に過去最高の距離を歩いたと思うよ。痛みに昔から強いの?」

と言われました。痛みに強いのかどうか自分でわかりませんがそのような声掛けにも励まされました。

生体肝移植 ー肝臓移植のドナー体験談ー (手術後)_d0119256_06230451.jpeg


【3日目か4日目】
(このあたりから、日にちの記憶があいまいです。すみません。)

まだ、歩くときは看護師さんがつきっきりで見てくれます。起き上がった時、少し貧血のような症状があり、はじめてふらっとしました。これが3日目だったか4日目だったかはっきり
覚えていませんが、夕食がすき焼き風煮の日でした。病院食にしては豪華なのに、全く食欲がわかなかった日が一日あって、その日が体調の悪い日と覚えています。食べられなかったのは
その日だけです。

その日の夜だったと思うのですが、母の主治医の先生がお忙しい中、わざわざ部屋まで来てくださり、母の状態とが頑張って戦っていることを伝えに来てくださいました。
過去にたくさんの医師と話してきましたが、この方は、技術はもちろんですが、患者の気持ちを大切にしてくださる本当に素晴らしい先生です。母は、担当してくださったチームの先生方
そして担当してくださった看護師さん達に出会えたことが本当に幸せだと今でも話していますし、感謝しています。(別の病院では、マイナスのことしか言わない先生もいました。
その先生の部屋からは泣いて出てくる患者さんもいましたー セカンドオピニオンは本当に重要だと思います。)

次の日ぐらいに、母に面会できるということで、看護師さんが車いすに乗せてICUまで連れて行ってくれました。母には、点滴が上から滝のように何本も繋がれていました。
顔もむくみ、しんどそうでしたが、声をかけるとうっすら目をあけていました。そんなに長い時間いることもできないので、すぐに病室にもどりましたが、生きている母にまた会えたこと
だけでうれしかったです。母は、子供からもらうなんてと手術前迷いがある時期がありましたが、私が説得し、生きてもらうお願いをして、移植することを了承しました。母を色んな意味で
苦しめたのではないかと思う時期もありましたが、今ではよかったと思っています。

【5日目以降】

傷口も手術数日後に見ましたが、思っていたよりきれいだと思いました。先生が手術前に説明してくださった図より若干短い縦線で、綺麗に溶ける糸できれいに縫ってくださっていました。
特に膿むこともなかったです。一人でトイレに行けるようになり、点滴もはずれ、シャワーにも行けるようになり、リハビリをしながら、あとは肝臓の数値が落ち着くのを待つのみという
感じでした。(母は小柄なので、私の肝臓は小さい方をあげれば充分ということでした。肝臓は不思議な臓器で、大きさが半分になっても、日が経つにつれて機能は同じまで回復します。)
本を読むぐらいしかすることがなくなったので、病院内をリハビリがてらに歩きまわっていました。(おかげさまで、癒着も全くなかったです。)

手術から1週間過ぎたぐらいに、母もICUから出られるようになり、個室に移ってきました。その頃には会話も少しできるようになっていました。肝臓とは関係ないのですが、私が、術後苦しんだもの
が一つあります。咳です。咳がまらず夜中寝れなかったのです。自分の担当の先生方に、咳止めを何回かお願いしたのですが、出してもらえず・・・手術の挿管の後だからということでした。一日中
でるのですが、特に夜中はひどく、横になると咳がとまらなくなるので、ベッドを起こして枕を抱えて寝ていました。それでも咳でまた目が覚めるんですけどね。

もともと喉が弱いんです。よく、気管に入ってむせるので、挿管の後だからと言われるとそうかもしれませんが、気休めでも薬だしてほしかったです。これが5日は続きました。咳すると腹筋使いますからね。
その時には傷口にひびくんですよ。これが苦しかったです。薬は結局出してもらえそうになたっかので、自分でコンビニに行って何か聞きそうなものがないか探し、

龍角散ののど飴

を買ってみました。その龍角散ののど飴がぴったり合ったのか、日にち薬だったのかわかりませんが、なめた次の日から止ったのです。あれは感激でした。それ以来、私は常に龍角散のど飴を
ストックしていますし、咳がでてつらそうな方には薦めています。

母の病室は一つ挟んで隣りでしたので、話をしたり、足をさすったりをしに時間があれば行っていました。母の病室に行くときに、廊下で腰を曲げてお腹を押さえている女性に何回も会うんです。
何回か会った時にどちらからともなく話するようになりました。その方もドナーの方でした。

「お腹痛いですか?」

と聞くと

「痛いのよ~。押えてないと落ち着かない」

と言っていました。やっぱり人それぞれなんだと思ったのはその時です。また、廊下で壁側を向いてすこし傷を見せ合ったのですが、縫い方や留め方も違ったのです。他の方の話してみない
とわからないものです。その方とは退院するまで、手術前~手術後までのお互いの話を会うたびに話ました。なかなか会うことのできない同じ手術体験をした人との時間はすごく貴重でした。

ですので、改めて書いておきたいのは、

この体験談は本当に一例でしかありません。術後の症状、傷口みんな一緒ということは絶対ありません。

とにもかくにも、私は大きな問題もなく、順調に肝臓の数値もさがり、咳には苦しめられましたが、傷の痛みもなく無事退院の日を迎えました。
主人の仕事の関係もあって、手術後12日目での退院です。その後、一か月半、母の付き添う為、京都へ1か月半住むことになります。

つたない文ですが、おつきあいいただきありがとうございました。少しでもどこかの誰かに役にたつ体験談であればいいのですが・・・
悩むことの多い手術だと思います。周りの人の本当の表情・感情・考えがわかります。私は、この手術をして一番そのことが印象的でした。本当に自分の事、家族のことを考えてくれる人が
誰かはっきりわかります。ある意味それが一番怖いことでした。一人で抱え込まず、家族が無理なら、先生やコーディネーターの方、本当に相談できる人に探して話してください。

最後に手術後5年たちましたが、傷の跡は見ればわかりますが、ただれたり、膿んだりも一度もしていません。母も体験談を書きたいと申しておりますが、パソコンは苦手なので、私が聞き取り、
また別の機会でお伝えできればと思います。(まだまだ先になりそうですが・・・)一か月半住んだ京都の情報もありますので、これもまた別の機会に書いていければと思います。




by pinkyarc | 2019-05-04 06:46 | | Comments(0)